20170622

生きてると意外と事務が多い。こういうの全部を誰かの仕事にして、なおかつ僕も死なないようにできればいいけど、ルーチンじゃないことが多くてうまくできそうにないことが多い。

梅雨だけど全然雨がふってなくて、でも数日前に「明日は広い範囲で、数年に一度の大雨!」ってお知らせが入ってきた。はりきって水とか缶詰とか補充して、ラジオつけて、雨のニュースの時間を待ってたら、大分で大きな地震があった。雨は大したことなかった。

よく考えたら、「数年に一度」って大したことないかも。今までの人生でも「うわあこれは大変な感じだ」って時、ニュースは「数十年に一度」「観測史上最高」って言葉を聞くような気がする。

自分は、死とか災害に備えて何かするのが結構趣味に合ってるかもしれない。目の前だけを見て何かするのが苦手なだけかもしれないけど。急に、良くないことのように思えてきた。


 20170624

頼まれてる絵の仕事が、「手を動かせば動かすほど進む」期に入ったので、昼夜逆転しながら気分の勢いに任せてやってる。最近はやりとりも前よりうまくできるようになったし、手順をやり直したりすることを少なくできてる。

日数の計算とかも問題なくできるようになって、疲弊することも減った。資料を集めたり、メールを書いたり、なんとなくそういう作業は例えば時給1000〜1500円で、絵を描いたりコードの仕様を作ったりとかは例えば1500〜3000円とか、最初に大体話して相手にも了承してもらいつつ総額を決める。そこも込みで一緒に作れば、一緒に仕事を進めていきやすくなる気がする。

とにかく日数だけじゃなくて作業配分とか、どんな金額・スケジュールで引き受けたら自分がどんな気分になるか、予想がつくようになったのは楽だ。今のが終わったらしばらくは、せっかく漫画が順調だから自分の漫画を描いていこうと思う。

まったく関係ない話だけど、自分のセンスに自信がない人ほど「クール」「おしゃれ」と言ったり書いたり気がする(偶然とか気のせいかも)。どんなセンスでもセンスなので、自信を持てばいいし、自信を持てなくても卑下しなくてもいいと思う。

センスを放棄して「(自分じゃなくて)大多数の目から見た及第点以上」って何でもかんでも、あんまりそう思ってないものを肯定したりしてると疲れるような気がする。だけど違うかもしれないし、別にそれで困ってない人はどうでもいいし、大体そういうことってどうでもいいか。


 20170626

「かけ学園のこと、あるでしょ」とお店で話されて、全然よく知らなかったので話を聞いたらすこし把握できた。「さすがゴミ国家(笑))」とも「自分には関係ないねー」とも思わず、ただ「あらゆる腐敗はなくなるべきで、それとは別に、腐敗の度合いがリアルだ(とても日本らしい)な」と思った。

ここ何年か僕は日本語のニュースは見てなくて、いくつか好きな新聞の電子版だけ見てる。日本も北朝鮮も同じで、「自国の残念さ」を印象づけるようなニュースは、あんまり国内のニュースにはなりにくくて、アメリカだと大きく報じられてるけど…みたいなのも多い。「報道の自由度ランキング」みたいなのも、デタラメにやってるわけではないので、そういうことが影響してるんだと思う。日本の色々に、バカにする気持ちも湧き上がってこない。住んでる人のほとんどがほったらかしで、「そうしたくてそうなってる」んだろうから、好きにすればいいよね。

日本はドイツイタリアイギリスより広く、韓国の4倍近く、まあまあな土地面積を持った大国だけど、基本的には戦後のゴタゴタで荒稼ぎしただけの国だ(そして使いすぎた人口ボーナスのオーナス分が多めに残ってる)。男尊女卑や奴隷根性、保守的で非合理的な悪い伝統もこびりついて、あとから発展したアジアの国に色々な面ですでに数字の上でも追い越されている。追い越されてるというか、女性議員が増えずに学生年齢のアイドルが人気過剰だったり、全体の数値としては「そういう動き」をしていってる。個性だ。

ちょっと前のインドネシアとかで起こってそうな感じの政治腐敗や社会的な不自由が、日本で今日起こってても、別に不自然ではないと思う。全ての汚職や腐敗はなくなるべきなんだけど、それとは別に「こういうことができてない社会で、こういうことが起こっても不思議じゃない」ということがある。ヘイトスピーチを散らすような人や、差別のリテラシーがない人、そういう低い人がいて、殴られたりせずに堂々と暮らせる国だ。


 20170627

(僕が)ラジオで音だけでしか聞かない名前を、普段の生活の中で声に出して見たりするのが好きで、そういう名前をメモしてる。「コモエスタやえがし」「コンバットレック」「いまにみてろドッカーン」などだ。

3つ目の人はハガキ職人のかただけど、複数の番組でがんばっている人は多くて、それもメモしてる。「ラッコフェスティバル」さんなんかは、かなり広いレンジの内容・時間帯に投稿されてて、その忙しすぎるスケジュールが心配になるときもある。

漫画をどんどん進めたいけど、あせると良くないから、いいのができるように慎重に組み立てないとな。「駄作でも量を描いて前に進まないと」って気持ちと「体力あふれる時間はあと10年もないから雑にやっちゃだめ」という気持ちとどっちもあって、こんなもん高いレベルで両立させるほど人間ができてるわけじゃないので、せめて心身のコンディションを良くしておきます。


 20170628

毎日、雑にここに書いてるけど、あんまり集中できない時とかに自由に雑文を書くと、頭が働いてきて、いい感じになるのだ。

お店には時々、クリエイターを目指してるような人が来たりする。なんかヒントとか求められることもあるが、特に僕は強く言えることもない。その人の好きなように勝手にやったらいいし、その人の知能や教養で「とれる戦略」に上限がある。なんでも一緒で、基本的にはやれるようにやるしかない。

ただ、環境というのはすごい重要で、僕なんか「家が近い」というだけの理由で頭の悪い高校に行ってしまったけど、若い時ほど刺激的で有能な人に囲まれて日常を送った方が、パラメータ的には良い。クリエイターパラメータ的には、だ(そんなもんゴミだと思える人は大体、パラメータが十分だったりする)。

で、クリエイター的なことに限れば、日本は東京に全てが過剰に集中しているので、若い頃に「東京に住んで日常的に同じようなことを面白くやれてる人たちに囲まれて暮らすかどうか」は結構な違いになると思う。日常的にいろんな国の良い同業者とふれあうことになるし、日常的に日本のいろんな上限を見ることになる。

だからといってまあ、必ずしも東京に住まなくてもいいと思う。「そういうこと」が分かっていれば、インターネットでも大学でも何でも使って、同じような環境は作れる。とにかく「知ってることが少ない」「見えてる範囲が狭い」「マインドが間抜け」というのが、東京の競争的な環境の中だと短期間で解決しやすい、というだけだと思う。で、そんなもん整ってなくても、突破できる人は(低い確率で)突破できるので、好きにやればいい。

東京に住んだ方がいいと思う人は誰に言われなくてもすでにそうしてるし、ごちゃごちゃを全部すっ飛ばせば「その人の趣味によって勝手に好きにして」となる。いい意味で、全ての人は全ての人にとってどうでもいい他人だ。だから僕も相談されてもあんまり何も言わない。


 20170630

先週けいばで、久々に万馬券が当たった。100円が16000円とかになるんだけど、当たり前だけどたまにしか起こらない。1年やって3回目とか。

くじと根本的に違うのは、1レースごとに賞金と人数が変わるところだ。だからいつも少人数高賞金、多人数低賞金、どっちになっても大丈夫な布陣を10枚ぐらいの馬券でデッキメイクする。もちろん強い馬が来る確率の方が高いので、低賞金な展開の方に5枚(500円)ぐらいにして、小さな波乱が起こることに2枚ぐらい、中波乱に1枚、大波乱に1枚、というような配分にしてる。これをずっとキープしてるわけじゃなくて、数字の動きや統計の扱い自体が楽しいので日々変えて、変えると自分の気持ちがどうなるのかを色々メモしてる。

よく「賭け事は嫌い」という人がいるが、その中のいくらかの人は「当選確率を努力で上げられない抽選はやりたくない」という意味で言っている(だから競馬は違う)。残りの人はまあ、「いかなるリスクにも近寄りたくない」という人だろう。気持ちは分かる。だけど資本主義社会に住んでいる以上、時間やお金やその他リソースを、元本保証の無い抽選につっこむことの繰り返しだ。労働なんて、40年ぶっこんでも45年分の生活費しか稼げなかったりする。で、リスクが低いわけでもない。僕はそれも、同じぐらい嫌いだ。


 20170701

昨日の続き。競馬の賞金がもらえた。

その何日か前に、電話がかかってきてた。5年ぐらい前にラトビア共和国の漫画誌に漫画を描いたんだけど、その本の主催二人が東京に来るからみんなで集まるよって感じだった。僕はその期間は東京にいる予定が無かったし、他の用事も全然なかったから、本当は行きたいけど、やめとこうと思ってた。あの時描けたのは本当に嬉しかったし、その後の色々につながったから、かなり会いたかったけど、来年にはヨーロッパに長めに滞在するつもりだから、ぐっと我慢してパワーに変換しようと思ってた。

でも賭博賞金が出て、それがちょうど行って帰ってきて少し遊ぶぐらいの金額だったから、行けってことだなって思った。「当たったから行けるようになったよ!」と言うと家族も泣いて喜んでくれてた。結構たくさんの人が来ていて、雑誌で描いてない漫画家の人も初めて会う人が多かったし、面白かった。田中六大くんとか、架空の面々にも会えて嬉しかった。


 20170702

何にも理由も目的もなく、4人以上で食事会とか飲み会を主催することが、僕は全然ない。特にこの10年は全くといっていいほどそれが無くて、気が進まない。2、3人だと楽しいんだけど、人が多いと「あの人と話せなかった」とか余計な反省をしてしまったり、疲れる。だけど呼ばれてふらっと行って帰るぐらいだと、たまにだと楽しい。

たぶんこの10年、全然余裕がないっていうのもあったし、隙間なくずっと何か作ったり読みあさったりしてるのが良い感じっていう期間だったんだと思う(みんなそういう時期がある)。でもいつまでもそういう感じとは限らないし、なんとなく気まぐれで人を誘ってみた。

理由や目的が無いので、誰を誘って良いかがまず分からない。友達や知り合いはみんな、ほとんどみんな、漫画とかゲームとか何かのつながりだ。だから「何の集まり」なのかが決まって無いと、誰を誘うかの基準が現れてこない。でも誘わないと始まらないので、自分が最近連絡した人を上から順に何人か誘って、「誰かいたら誘ってみて」と言って、7人ぐらいになったからちょうどいいぐらいと思って決まった。

なんとなく試してみたかったのが、「名残惜しいうちに解散する」だったので、そうした。飽き飽きするまでやることと、何かを徹底するのは全然違うことだなって思うことが最近多くて。特に僕の発想とか工夫とは別に、みんなと話せて楽しかった。


 20170705

高校卒業で実家でてから、6回か7回ぐらい引っ越ししてる。居候とか入れるともっとなるだろうけど、自分にとってはエビの脱皮みたいなものだ。どういうソファを持ってるかとか、どんな容積の本棚を捨てずに残してるかとか、1つ1つは微量でも、けっこう個人の生活スタイルの規定に影響を及ぼしてる。それに囚われてることは、別に悪いことじゃない。だけど僕は土地や間取りや家具に規定されるのが嫌いな趣味だし、大きな変化を楽しんでいきたいので、こうしてる。実際、「器」を変えるとできることが変わって、また「次にいってみたいな」と思う。

2回ぐらい前の引っ越しで、3LDKから3帖(+収納)に移った。生意気に書斎まであった状態から狭いところに移って、50箱の本も全部処分した。その時に一気に物が減ったので、今度は1帖に収まるように片付けてる。ホテル暮らしができるレベルだ。実際しばらくホテル暮らしになるかもしれない。

溜め込むのも長年やったけど、はっきりいってみんなやってることだし、放っておくとみんなこうなる。年取ってどうなるかも想像つくし、減らして生まれ変わる方が未知のわくわくがありそうだ。色んな時代や国があって、その数だけ常識や固有の考え方があって、それらの複数にトランスしていけるのはとても面白そうだ。つらいことがあって過去をリセットして、全然知らない国の傭兵部隊にいるような人とか、つらいことがあったんだろうけどうらやましいなと思う部分があった。1度の人生で2個や3個の人生を送ってる。つらいことが起こらないと大きなリセットは難しいだろうか。たしかに結構難しいかもしれない。


 20170708

だいぶ片付いたし、だいぶ物がなくなった。服は全部スーツケースに入った。ドグマ出版の在庫は仕方ないとして、それ以外をもう1段階減らしていく。レアな物も結構あったけど、日本社会のこの時代でレアなだけで、それらは国と時代の数だけある。変な話だけど、ヒューマンビーイングにとって普遍的な物の方がレアだ。学者でも満足するような図書館があって、豊かで面白いカルチャーがある街に住んでいたり、「何にアクセスできるか」って方が、自由なだけでなく色々自分の趣味に合うメリットが多い。

物に執着するのも散々やってきたし、僕の中ではまだそのOSが動いてる。それが低いバージョンだとも思わないし、悪だとも思わない。不思議だけど、物を持たないまま物に執着するっていくらでも可能で、その点では自分はとみさわ昭仁さんの影響とかがあるかもしれない。

どんどん身軽になっていくのが楽しいかっていうと別にどっちでもなくて、楽にはなってるけどそれ自体は別に特別な気持ちはない。ただこれからの計画の実行がとても楽しみだ。