20170127

新しいコンピューターを買いたくて仕方がない気持ちを、もうしばらくずっと抑えてる。今使ってるデスクトップは、地震の前に買ったから、2010年だ。まったく自慢にもならないけど、6年も同じコンピューターを使えているのは、たぶん生まれて初めて。

毎年できることは増えていくから、どうしても段々負荷がかかる処理はあって、ズバズバビュンビュンでやらないと僕も気分が乗らない時がある。もちろん昔のコンピューターも知ってるから、我慢はいくらでもできる。拡張もスロットめいっぱい使いたいわけじゃない。だけど当然、道具なんて良い方が良い。使うこっち側のスペックは落ちていくんだし。

拠点をあちこち動かす人は、文章やコードを書く人が多い気がして、大体そういう仕事だと、どんなラップトップでも大丈夫だ。だけどそうじゃないと、画面も2枚ないと厳しいし、色々考えちゃう。本当は、すごく低いスペックの機械でも最低限の環境でも、しっかりした価値のある物をシンプルな手順で生み出せるというのが最高なんだけど、僕のデキとも志向ともすこし違うし、うまくやるしかない。


 20170129

先週はすごい寒くて、おみせでも全然暖房が太刀打ちできない感じだった。作業どころか、ちょっと勉強するのも集中できない感じで、「しばらくこれだと嫌だなあ。去年はこんな日は無かったのに」と思っていたら、今週は大丈夫で、普通に作業もできた。四季って大したことない!

確定申告が近くて、なんか、ちょっと見ただけでも去年よりやばそうな感じだけど、ルールなので仕方ない。なんか変な工夫を無理矢理するより、根本的なところを変えられるように努力した方が前向きだし。

まだ就任して間もないのに、トランプ大統領の色々が本当に不安になる。大日本帝国とナチスが占領したアメリカを描く「高い城の男」のドラマ版を見ながら眠って、起きてアメリカのニュースを見ると、どっちが冗談だか、どっちがディストピアだか、すこしグラグラするぐらいだ。逆の力を働かせる人たちの存在が際立つ。だけど不安は不安だ。

嫌な力から身を守るためなんかに、努力して力を身につけたくないなと思けど、「あらゆるために使える力」だと思ってやるしかない。し、実際そうだと思う。神が嫌な敵モンスターを配置してるんじゃなくて、色んな人間が適当に動いてるだけでこうなる。


 20170131

ちょっと前に「未体験なもの」に関してしゃべってて、そういえば僕は、飲食店に1人で入るとか、そういうのを30歳ぐらいまでやったことがなかったなと思い出した。今でも喫茶店とか、特定の種類のお店にしか入れない。苦手だ。

食べ物も食べたことがない物が多くて、この前「おはぎ」を初めて食べた。「食べたことあるかもしれないな」と思ってたけど、「じゃあ買ってみよう」となって食べたら、全然知らない食べ物だった。

念のため「普通っぽいおはぎ」と「きなこのおはぎ」を買った。驚いたのは、アンコに包まれたモチみたいなやつと、モチにアンコが包まれているやつが、どちらもおはぎと呼ばれていることだった。これは、ウィダーinゼリーとゼリーinウィダーぐらい違うと思うんだけど、同じ名前でいいんだなと思った。

「完成した姿やメソッドではなく、材料のラインナップや質量規模が定義に大きく寄与している」という世界観は、それはそれで理にかなっている。それはそれで独自の良さをもっているし、僕は好きだなと思った。やはり「おはぎ」というのは「おファジー」という意味もあるだろう。


 20170204

もうずいぶん前になるけど、「この世界の片隅に」を観た。僕は、好きでも嫌いでもない感じだなと思った。あんまり観たことある感じじゃないな。

観ようと思ったのは、「戦時中の呉を舞台にしてる」「広告代理店が多額のお金をかけて作るような感じじゃない」「アニメだけど絵がそこまで苦手な感じじゃない」っていうぐらいで、あまり積極的な理由じゃないかもしれない。でも観てみて、思うことは多かったなと思う。「チケット代損した」なんてことももちろん思わなかった。

(どういうお金をどう使ってどう作られたか、僕はあまり知らないけど、なんか志が高そうな感じがした。表現にこだわりがあるし、音や色にも好感が持てた。景色や建造物などの描かれ方も感心した。展開や構成も、嫌に感じたところがそんなになかったし、ということはキレイなんだと思う。)

以下、あんまり温度の高くない感想が続くけど、「こういう人もいる」ってことで。こういうのを書こうと思えるのも、この映画が真面目に戦争っていうテーマに取り組んでいるからだ。オールウェズさン丁目の夕日では、僕の場合、そういう発想は出てこない。

(1)非国民がいない
「はだしのゲン」のお父さんみたいな過激な「非国民」レベルどころか、みんな1ミリも反逆していないように見えた。「こわいねえ」「どうしたらいいんだろうねえ」と不安がったり生活の不平をグチったりする人はいても、「この戦争は、反逆せずにおとなしく従ってる自分たちのせいで長引いてるんだ」という感じの人が出てこない(と僕は思えた)。これは不思議というより驚きだった。「当時の庶民」を描くにあたって、とてもリアルなのかもしれない。おとなしく、個々の生活のことに追われた人たちが、命や大切なものを奪われる。強くない人が、失うばかりで、悲惨だ。反逆できない人に「弱い人の自業自得だ」とは、とても言えない。なのに実際には(多数の弱い国民が、教育までコントロールされきって支配者に従っているという意味では)自業自得なのが、とても残酷だ。

非国民が出てくる戦争作品は、その勇気ある行動、殴られても考えを捨てない強さが「こんな人たちがもっといたら、戦争は防げたかも」と思わせてくれたりするが、これはその逆、「こういう人たちが大多数で、つつましさなんかを徹底したから戦争がフル期間でおこなわれたのかも」と思わされる。でもその直後「自分は【非国民】という便利で強烈なキャラクターに慣れ過ぎていたのかも。多数の公務員などによって広域で暴力が実行されつづける世界では、まあまあ全てが無力なのかもしれない」と思う。現に今、武器輸出だの沖縄の問題などある中で、てめえの節税だのコスパのいい航空券だのに集中している自分は、まさに、呉で兵器を作っているふもとで節約レシピの工夫とかやってる主人公と似てるー感まで思わされる。

(2)幸せのバランスが怖い
物語の内容に触れるからあんまり書かないけど、おっとりしたやつのせいで徹底的に全てを失う人もいれば、どんくさくても死なずに済んでる人もいる。この不公平感と言うか、「やってりゃあ報われるわけじゃない感」を感じて怖い。

「知性が高いほど難しいことをクリアできる」「的確で俊敏なほど多くの仕事量がこなせ、その対価を得る」「努力によって知性や能力が高まったりして、良い感じになる」みたいなことが、かなり通用していない世界を見ている感じ。最初は違和感があった。なんか、出てくる人たちが全員ってわけでもなくランダムな感じで理不尽に得したり損したりしていて、不安になる。

でも2016年実際社会でも、偏差値とか年収とか健康とか、分かりやすいパラメータが強めに人生に影響を与えているように日々思って生きてるけど、何かを忘れたり気にしなかったり、「図太い」「がさつ」みたいに悪く言われるようなことも、生きる力だ。そしてさらに、「流される」とか「優柔不断」とか「一貫性がない」みたいなことですら、時局のありかたによってはプラスになったりする。というか、そういう「プラス」や「マイナス」とかっていう概念自体が、グニャグニャ変わるものだ。そんな中で爆弾、ブラック企業、問題のある家庭に生まれる、いろんなアンラッキーが当たるかもしれず、それに勝てないのが庶民だ。努力はコツコツしかできないのに、アンラッキーは一発で全てを台無しにしてくる。最初はそこまで思ってなかったけど、段々そう思った。

(3)なんか飲み込むまで時間がかかる
以上のようなことを思ってまとまりのある印象になるまでに、結構時間がかかった。僕は最初、全然この映画の好きなところが見つからず、自分がノイローゼ気質だからだと思ってた。怪獣が出てきたりすれば何でもいいんだけど、実際の戦争を描いているものになると、当然そういうものとして観てしまう。「自分の考え方との距離」とか「この映画が戦争映画として日本で作られて存在していること」についても考える。僕にとっては、「なんか、何とも言えないな…」って感じだった。

たとえば、他の戦争映画とかをあんまり観たことない人が1回映画館でこれを観て、どう思うんだろう。意地悪な見方かもしれないけど、「人生色々あるけど、女とか人間、とにかく、自分の身近なところ、一生懸命、泣きたくなるときもあるけど、自分らしく生きていれば、なんかさえない感じでどんくさくても、きっと幸せになれる、人生ってそういうものだから」みたいな感じにならないかな?と思う。だけどまあこれに関しては、各々映画観て何思うかはどうでもいいし、実際人生はサイコロふるようなものかもしれない。僕はそういうサイコロ嫌いだから、「つらいな、無惨だな、きついな」と思っちゃうけど。

とにかく、珍しい映画が存在しているのは良いなと思う。視点やシーンが、他の戦争映画と違うのも良いところに思える。「1回観て、すぐに釈然とした理解がある映画」じゃないのも、全然悪いことじゃない。よく思い直さないと、あんまり感想らしい感想が浮かんでこなかったのは僕の問題かもしれない。「絵とかが良くて、まあなんか庶民の視点って感じだったな」とかで忘れていってたかもしれない。今どう思うかというと、「非国民いないワールド、とにかく絶望感がすごい」。


 20170206

コーヒーでもバーベキューでも、外で食べたり飲んだりするのがとにかく好きなので、そろそろ晴れた日の昼なら広場のベンチで食べたりできるようになって嬉しい。家族と食べてたら、鬼殺し持ったおじさんが横にすわって飲んでて、なんかその人も楽しそうだった。

やっとお正月じゃない気持ちになってきて、大体毎年このぐらいだな、と思う。お正月気分じゃなくなるとどうなるかと言うと、とくに何も変わらない。

年明けてから一ヶ月、いくつか「やろうかな」と思ったゲームがあったけど、結局どれもやらずに本や映画ばっかりになってる。たくさんは読めてないけど本はSFが多い。今までそんなに読んでこなかったけど、面白い。友達がすすめてくれるやつも、何かそれぞれ、その人の人柄がちょっと反映されてて楽しい気持ちになる。

おみせは土日ともそれなりに人が多くて、でも作業はまあまあできた。先週から競馬新聞をおみせで作ってて、一緒に買った4人とも当たってすごかった。僕は最近あたり続けてるから、ちょっと悪いことに遭って帳尻が合わないといけない。嫌なことが起こったら嫌だな…。


 20170210

だいたい色々順調だと、それについて書かなくなる。体力作りは特に実感はないけどうまくいってる。体脂肪率6パーセントぐらいのまま体重微増、維持、微増、維持って感じ。勝手にやってろって感じに、自分に対して思ってる。

年明けて3回ぐらい風邪ひいたけど、どこかでもらってきたことが分かってすぐに、あたたかくして休めば、普通に寝る+4時間ぐらいしか影響ない。悪くなったら取り戻すのに延々かかることを考えたら、やっぱり賢くやった方が良い。

勉強は結構つかれる。特に今はやることが多くて、つかれるので、またSF小説を読んで現実逃避してる。シオドア・スタージョンとか、そういうのを読んだ。こういうのもなんとなく付き合い方があって、自分なりのそれが定着してくる感じがとても楽しい。

とにかくザーザーやってる。これがバタバタしだすと自分は嫌なので、だいたいザーザーで止めるのがよい。


 20170212

今週はおみせ、寒かった。「ペストにかかるよりまし」「ベトナム戦争だと思えば大したことない」などとすぐに考えてしまって、大体どんなことでも我慢してしまう。そんな良くない性格なので、寒さも知らないうちに耐えてしまう。で、それが蓄積して病気になる。

そういうことって思ってるより根深い問題で、自己評価の低さみたいなものと通じてる気がする。でもそれは今日のところはどうでもいいか。

最近は日曜日より土曜日の方が客が多い。多くても1日20〜30人ぐらいなので、偶然かもしれない。競馬はまた当たって、もう次週こそ豪快にやって、一回軽く外しておかないといけないと思う。

まだまだ頼まれごとばっかりやってて、がんばって終わらせないとなって感じ。たまたまjavascriptばっかり書いてる。簡単なことしかやってないから、簡単だな。あと1ヶ月半ぐらいかな。


 20170215

競馬、日曜日に中止になった小倉のレースが月曜に振替実施されて、たまたま馬券売り場の近くに行く用事があったから買って負けた。僕はあまり「運の調整」みたいなことは考えない方だけど、どちらかっていうと、いつもやってる「すごい考えて買う」のとはちょっと違う感覚で買う日も混ぜて行く方がいいって感じだ。こうすることによって運の調整はできなくても、アプローチの調整ができる。

はっきり言って、ほとんどのものは人生の色々に似ている。競馬も似てる。全パターン買えば必ず当たるんだけど、損をする。金額と思考時間の制限があって、馬券10枚なり何なりのリミット枠の中に自分の選択をまとめ仕上げる。その中で抜け落ちるものあれば、抜け落ちるべきものが不当に選ばれ残るかもしれない。

仕事や恋愛だけじゃない。全てのチャンスに制限回数や制限時間や制限文字数がある。冗長に、しつこく、やり直し、言い改め、こだわれる場面なんて本当にわずかで、ゼロと言っても良い。対人であれば(相手にも時間や機会の制限があるから)尚更だ。文章であれ、絵であれ、馬券であれ、後悔なく自分を表現しきった出力を出し、それで人に魅力を感じてもらうというのは誰でも、何度目でも緊張するし、こればかりでは緊張で死んでしまう。だからそれを調整するのだ。「幅を持つ」と言っても良い。

絵でも何でもそうだ。モチーフには大人数が好きそうなものを選びつつ、配色で特殊なことをやり、「当たりにくいけど当たれば大きい」みたいな仕掛けを「入りやすい入口」の中に配置したり、その逆のようなことをやったり、バランスの取り方に個性が出る。これを調整し、自分が「こうありたい」「こうであるべき」と思う「幅・範囲として」自分を調整する。細胞の循環や空腹で日々変動する自分の「自然体」を信じるのもいいけど、僕は、肉体や精神と言うのは水面に映ったゆれゆれ体だと思う。現象が公式化できるのと同じように、体外に色々なものがある。「これが自分だ」ではなく、「この図形の中の任意の点が自分だ」という感じ。「この円の中の任意の点」ではない。円には、とくに真円には中心点がある。それが自分だと思ってしまうのがよくない。もうちょっと人格と言うのは、ゴルジ体というか、パックマンの地図のような網状のイメージがある。

じどうしゃのマニュアルギアの王を横にしたような形状かもしれない。


 20170218

ツイッターとか見ると、けっこう間違ったことが平気で何万人の人にリツイートされてたり、多い。たとえば「なんとかの法則」とかが全然違う意味で使われてたり。でもそれって、SNSに始まったことじゃない。自己啓発本やプレゼン資料が、弱いデータを補強するのに悪用したり、それを見る方もそれでよかったり。世の中には「本来の意味」なんて必要としていない人が多い。メロンの香料ぐらいにしか思っていない。

宮武外骨が昔、一円本が流行った時に批判を書いてた。一円本は、今の出版システムの基本的なやりかたの元祖とも言える。つまり、「たくさん刷って薄利多売する」という感じで、その根本には、「弱い購買意欲を持った人に、その意欲でも十分動くだけの金額で押し付ける」というエンジンがある。

何で読んだか忘れてしまって、しくしく、悲しいけど、最近「日本の本の多くは、本を生活に必要としていない人向けに作られていて、そこでの売上が業界を支えている」みたいな文章を読んで、まあわりと何でもそうだよな、と思った。作ってる方もそうだ。

まあまあ多くの人が、「(雑な)UFOキャッチャーのぬいぐるみ」ばかりを消費している。見せられて、なんとなく欲しくなって、時間を使う、という感じ。能動的に発見したものではなくて、何かで知った無料ゲームで時間をつぶしたり、ユーチューブにあがっているならあえて買わないような音楽をきいたり。大して好きでもないもので時間をつぶしている。つぶして出たコンコルド効果を上回る他の何かが、ない。

言葉を発することに何の情熱もなく、ただ無料で利用できるからSNSに浮遊してるだけのアカウントが、間違いだの何だの書いていても不思議じゃない。自然だ。自分もその1つなのだという自覚が、僕にこそ足りないなと思う。


 20170221

最低限の保険とかだけ契約して台湾に行った。宿は適当なアパートで、一泊1000円だったけど、レビューがちゃんとしてたから大丈夫だった。飛行機はそんなに安くないけど、往復2万円だった。保険や、遠すぎる関空へのバスなど全部合わせると32000円、1日あたり4000円だ。

楽しみにしてたんだけど、日が近づくにつれて、全然時間がない感じになってきた。仕事があるのはいいことなんだけど、タイミングが悪いなと思う。行く前から「次ちゃんとゆっくり来れる時にゆっくり遊ぼう」と思って移動してた。

イベントに参加したり、友達の友達がやってるお店とかにも色々行くから、wiki程度の歴史とか、ざっと読む。結構複雑だなと思った。それでいて今のコンピューター産業とかの具合とかって、すごい感じ。

着いたら暑かった。位置もろくに知らなかったけど、沖縄の向こうだと知って、納得した。