20161227

おみせ、年内最後の週おわり。年末だからか、結構人も来て、何か買っていく人も多かった。十代の女の子が封筒から新札を出して「東ドイツの労働者積立貯金手帳みたいなやつ(小さな手帳に切手みたいなのがびっしり貼ってある)」を買ったり、もうほとんど内容も忘れてしまったプロ倫(マックスウェーバー)の話をおじさんがしてきたり、なんだかんだ言って印象的なことが色々おこる。

「こういうものに興味がある」とか「こういうものを探している」とか以外に、「こういう考え方になりたくて、そういう雰囲気の物が欲しい」とか、そういうことを言う人が結構いらっしゃる。服だとか小物だとかって、社会から潰されないための武装だし、その人の視界がその人を作る部分も大きい。

乱暴な言葉、きらいな色彩、許せないレベルの工業製品、それを生活を送っていく中で視界から全て消すのは不可能に近いから、良いものを増やして身近に置いて、バリヤーしたいって気持ちだと、僕にもある。気が散りやすくて、ノイローゼになりやすいから。そういう方向じゃなかったとしても、何かそういう「物の求め方」は分からなくもない。

競馬も今週が年内最後で、有馬記念という競争だった。たくさん買ったけど1つしか当たらなかった。今の僕の買い方だとこういう感じにもなる。納得したなって感じだし、まだまだ考えが至ってないところは悔しいというか、もっと考えてみたいなって思う。でもあんまり考えすぎると時間がかかるから、大変な趣味だなと思う。でも数字が動いて作用し合うのはコンピューターゲームの核だから、ゲームだなーと思っていつも楽しんでる。惑星とか、免疫とかもそうやって作用しあってる。数秘術みたいな考えをする人がいるのも分かる。


 20161230

ほんと、やっと今年も終わりだ。何回ドトール行けば一年終わるんだって感じ。今年はドイツ語の勉強があったからドトールとか結構行った。個人経営だと20分以上居にくい。いてもいいんだろうけど。

数日なら何かに夢中になって過ぎ去ってることはあるけど、365日も過ぎ去ることは、僕はない。集中が切れたら毎日毎日あれこれ考えが散って、自分で考えて自分で嫌な気分になったりもする。心頭滅却の力を強めていくしかない。

ドトールに行くと、「折れない自分の作り方」みたいな自己啓発本に下線を引きながらポロポロ泣き出す人とかがわりと居て、「僕もこの人なんだ。この人は僕なんだ」とか思いながら、オレはオレの本に、オレの下線を引くんだ。それがドトールってものだな。

カレーをたくさん作ったから、正月はそれを食べながらできるだけ普通に過ごしたい。みじんこ洞でいつか食べたカレーに枝豆が入ってたのを思い出して、いっぱい入れてみた。

去年も長かったし、一昨年も長かったし、大人になってから、ずっと長く感じる。もうすぐやっと35歳になる。こんなもんかなと思う一方、「謙虚」って入れ墨を手首に入れたいぐらい、精進したいことや追求したいことは多い。ムーミン谷に彗星が落ちるやつの映画のやつを観た。


 20170102

どこ行っても人が多いだろうし、テンションおかしい人もいるだろうから、できるだけおとなしく。おおみそか、1日、2日と、ドイツ語やったり友達に手紙を書いたりしてた。

GHzのブログというところで「心のクウェート」を「2016年でよかったもの」みたいな感じで選んでもらえていた。twitterでも、そういうのに選出してくれている人がちらほらいて、とても嬉しかったです。

先日「労働せしめる実体」も公開したんだけど、「作ったものリスト」を作って、読めるやつはそこからリンクで行けるようにホームページやります。と、同時に、ドグマ出版のあつかいも、僕のホームページの一画に格納して、便利にします。

10年やろうが20年やろうが、まず、初めて見た人が拒否感を出さない程度には親切にしてやって、最低限クリアできてからじゃないと込み入ったことはしちゃいけないな。やってりゃ勝手に良くなるなんてことはない。仏教で繰り返し書かれているとおり、癖に流れる自分を流れ以外の方向や座標に動かしてこそ、悪い癖から脱することができます。


 20170103

2016年の年始に立てた目標が、どれぐらいできたかチェックしてみた。今年は、目標書いた紙をしまったままあんまり見てなかったのが良くなかった。以前は机にしまっていて、時々見てた。

目標は分野ごとに立てていて、その分野は健康、まんが、ゲーム、おみせ、仕事、人間の6つですね。

健康は「はやねはやおき」「体力アップ」「体重少しでも増やす」だ。夜中出掛けることは一切無くなったし、トレーニングもずっと続けてる。体重も微増して、キープしてるから、これはとてもできた。前より健康だという自覚があるのが、何より素晴らしい。

まんがは「心のクウェート完成」「ファウスト少しでも描く」「油断せず素晴らしさをチェックする」だ。心クは完成したが、ファウストは手つかず。素晴らしさに関しては、とても難しさを感じているがやっている。全てのダサさを自分の筆から消すことはできないけど、強い良さ、多くの良さ、執念深い研究で、自分の思う素晴らしさを追求するしかない。ファウストは、やるしかない!

ゲームは「2つ出す」「低スペックでも動く物を。」「自分がよく遊んで、遊んでよかったと思える物をよ〜く見つめる」だった。心クが予定より長く、翻訳まで付けることになったので、予定していた2本とも、まだ開発中だ。心クはその代償を十分リカバリするものになったので、これは大丈夫。開発中の2つは低スペックで動くものだし、どちらも僕の大好きなジャンルやソフトをルーツにしている。ゲームに関しては「セーフ」ぐらいの目標達成度かも。

その他は、できたものもあればできなかったものもあり、やっぱり「日々、ときどき見て確認する」ということを習慣にしていなかったのが良くなかった。一方、時代はついに暗闇ゾーンに入り、一寸先の不安定な時局をサーバイブしていくにあたって、「通年の目標」という「こまめでない指揮系統」では対応しきれない流れが多い。2017年の目標は、通年規模で保持すべき姿勢のみを記載し、いわばそれを憲法的に運用し、ちくじ律・令レベルの具体策をこさえていくのがよいであろう。

5日ごろまでには2017年の目標を作るぞ。


 20170104

2017年の目標(35さい) とりあえず立てた。

【描く制作】予定:今年1冊作る。

ていねいにやり、心からよいと思えるものをやる。機械回数を大切にする。(いつまでも、何度も見てくれる人ばかりとは限らない。同じ失敗や課題をひきずっている状態を見せるべきでない相手に見せては、自分からチャンスをつぶすことになる)

【ゲーム制作】予定:2本完成させる。

規模を大きくせず、疎かな部分が出ないようなサイズに。隅々にまで力を充たす。(まとまりの強い、完結したパッケージを、しっかりした質で作っておけば、とても寿命の長い物になるし、ただのステップにならないで済む。さかのぼって遊んでくれる人にも楽しんでもらいやすい)

【ドイツ語】予定:B1の試験に合格する。

試験が目的ではないので、ひきつづきB2レベルに移行し、日々時間を多くとって続ける。聞く話すも十分やる。

【生活】

体力をさらに高くする。体力が高ければ、病気になってもダメージが低かったり日常に戻れるスピードが速まる。砦がしっかりしているというのがとても大切。自信の持てる砦にいるということが、全部に良いフィードバックを与える。

稼ぎという概念や収入の安定などは気にせず暮らし、だけど技術はいつでも出せるようにしておく。フリーランス9年目とかだと思うけど、どうにかする術は積み重なるし、でも根本は運とか市況によるので、そんな感じだ。

乱暴・げす・幼稚・自己中心的・無教養・無配慮・その他むやみに接すべきでないものに近づかず、自分の中の含有容量も不適切にならないようにする。人は環境に影響を受けるし、自分で整えないといけないというだけのこと。


 20170105

今年の目標立てたから緊張する。寒かったのか、ずっと頭とかが痛いだけの嫌な風邪になったけど、インフルエンザでもなかったし1日で治ったからよかった。

目標立ててメキメキやろうとするのを「意識高い」といって揶揄する人もいるけど、それは文化の違いってことでどうでもいい。自分はある面でそうしていると快適で理想的だ。だけど本当に基本的なことで言えば、1歳だの5歳だの22歳だので亡くなる人もいる中で自分は35まで生きれて、もう十分だという気持ちがする。

いつ死んでもいいけど、かなりしょうもないことで無駄に死にたいとは決して思わないし、生きている以上はありがたく存分にやるってぐらいの感じに、いつもなる。色々思い描いている長期的なことも、全部途中で終わっても嫌じゃない。でもそのかわり、そのためにやってる細かいレンガ積みみたいなのは、1つ1つカチカチ終わらせて手応えみたいなのも楽しみたい。

そしてやっぱり、「1歳だの2歳だの12歳だので亡くなる人がいる」というのが、自分がいつも考えてる基本になってる。みんなタルピーみたいなおばけになってるとして、それらが自分を見て面白がったりしてくれるか、そういうことが自分は大事だ。たとえ本当に困ってたとしても、難しい法務や数学でイライラしてはいけない。見ているのはタルピーなんだから、愉快に対処したり回避しておもしろい映像にしないといけない。

タルピーに見せられないことは、タルピーが存在してなくて見ていなかったとしても、やらないほうがいい。それは何か、やっちゃだめなスピードでやってるとか、やっちゃだめなコンディションでやってる。神とか仏とかを心に持ってる人と話してても、僕の勘違いか偶然にもそういうことを言ってることが多い気がする。


 20170107

近所にジュンク堂があるのは、ここに住んだ瞬間からありがたかった。でも本は誰も買わないのかもしれない。品揃えはあんまり良くなかった。

元々、自然科学とか社会学の棚がそもそも無い。何か?のためにやる塗り絵とか写経みたいなものを売ってサバイバルするのも、やるべき水準の高い作業だとは思う。ここでやってく以上、そうしなきゃいけないんだろう。

こっちも分かってて応援したいつもりで行くが、「納税とか色々疑問のあるamazonより…」とか思ってられないぐらい「使えない」要素や非合理なシステムに残念を感じたり多かった。だけど最近そこも、フロアの一画を文具販売にした。花札へらしてファミコンやったり、世界は自由だから良いと思う。

じゃあ行かなくなったかと言うと逆で、文具フロアになった方が自分も使用頻度が上がった。「やっぱりそうなってしまう」感に、複雑な気持ちだ。やっぱりそうなること、多い。


 20170117

おみせの水道代を払いにコンビに行ったら、店員が「人気のファミチキなんとかかんとか〜」と言っていた。そこはサークルケーサンクスだったので、バグッたかと思ったけど、そういうコラボとかいかにも2017年あたりならやりそうだし、たぶんそうじゃなくて経営統合みたいなやつだろう。

サークルケーもなくサンクスもなく、サークルケーサンクスであることには、すでに慣れている。全てが無常で、大体のことに慣れる。だけど、ずっと違和感を持ち続けることもある。

20年前とか、古いラジオの録音をきくと、CMで「スピッツ、待望のなんとかツアー…!」みたいなのが流れて、電話番号いくつか言ったりする。その数字の配列を言ってる感じ聞くと、無心になる。ぱっ見た目だけかもしれないけど、あの頃と全然違う国の景色になってる。

生まれる国も生まれる家庭も、生まれる時代も、誰も選ぶことができない。なのに「あの時のあの感じがよかった」とか感じる。

たまに日本のニュースが目に入ると、「ズタのボロじゃないですか」と思うような、ウソみたいなことばかり見える。日本人が、今までと同じ感じで、不平不満を言いつつも何も行動せず、戦争のときみたいに「やだねえ」「困ったねえ」ばかりだと、今みたいな感じは治らないか、ひどくなると感じる。1mmでもいいから、日常的に抵抗や反発を起こすことがあれば全然違うと思う。

タワーレコードが、家族みたいな仲間内から始まってから世界中に展開して崩壊し、日本でだけ残った現状を描いた映画、「ALL THINGS MUST PASS」をすこし前に見た。事情をよく知らなかったので、凋落の背景は意外だった。僕は普段生きていて、サステナブルって感じをわざわざ意識しすることはないけど、「戻れない」ってことは、世の中にたくさんあるし、これから僕もそういう感覚をたくさん味わうかもしれないと思う。


 20170124

コンピューター頼まれごとが多くて、ゲームも全然作れてない。あたたかくなり始めるぐらいまで、この状況は続くだろう。あいかわらず僕は、プログラミングがヘタなんだけど、やれるようにやってます。たぶんこれはお金がもらえることだと思うので、お金がもらえたら、また来年ぐらいまで行ったことないところに滞在したりしながらゲームつくりたい。

プログラムを作ってると、まだまだいろいろ分かることがあったり、短くきれいにコードを書けるようになったり、そういうことはあるんだけど、もう十分だと思う。なんか世の中には、色々やることがあるし、興味がある。「今できることで最善を尽くす」みたいなことでも、今より上達すると楽しそう。

ドイツ語は、単語5000語追加チャレンジをお正月からやっていて、今年いっぱいかかるかも…。こども向けニュースとか、「半分わかれば良いほう」って感じだけど、内容がおもしろい。子どもが素直に意見を言ってたり、扱ってるテーマも、その解説映像も工夫されてて、先進国感がある。

「勉強なんてやってて、本当に僕が、意思疎通できるようになるのかな?」ってのは毎日疑問に思うし、正直、せっせとお金稼いでそれに物言わせた方が饒舌に何かを奏でる気がする。それぐらいお金って強いし、一応軌道に乗れば頑張るほど稼げる。だけど、なんとなくその万能性だけに頼るのって居心地悪いなって感じるから、地味な勉強の方がやる気でてるんだろうなと思う。


 20170125

たまに政治のことツイッターに書いて(これ自体は生きてれば自然なこと)、5ではなく、1とか2とかフォロワーが減ってるのに気付くと、安心する。言うまでもなく僕は「おもしろ画像はきだしマシーン」じゃないし、「クリエイター業務」じゃなくて生活の一部としてインターネットやってる。それを、少なくない人が分かってくれているのは、ありがたい。

色々書いてれば、1人も減らないってこともないだろう。たくさんの人をフォローしてて、僕を人間としてではなく生産者として見てる人も居るはずだし、僕はそれを否定しない。ただ、見る側と見られる側は、無関係に好き勝手にやるのだ。

こんなこといまさら言うのはあれだし、何度も似たようなことは書いた記憶があるけど、政治について書くのは全然特殊なことではないし、そもそも「政治的」ということは、他の話題と明確に区別されるほどの属性ではない。それは野菜の値段とか、天気とか、仕事とか、生活の色々と繋がったり混ざったりしている。

本も新聞も読めない、何かを考える時間も方法も持たない。そういう人はいる。そんな人でも、わざわざ政治を「お上のやること」といって「ふれるべからず」にする理由なんてない。「SNSみたいな低知能な場所で不用意に書くことはせず、無駄な衝突を未然に避ける」ってなら分かるし、僕も結構そうしてる面があるけど。

僕は、友達や家族と世の中のことについて話すことは毎日のようにあっても、そんなに何かやったりすることはない。何も行動しないということは、今の政治に賛成してることになる。この環境で毎日せっせと働くことは、巡り巡ってどころか、ダイレクトに今の王様を強くしていることになる。ブラックホールにふるさと納税したい気持ちなときもある。

字を正しく読んで正しく考える人というのは、今の日本だと、「テレビチャンピョン・字が読める王選手権」が開催できてしまうぐらい少ない。「バカは一生、わるい王様のために、どれいみたいにグルグル回る棒を回してろ」って感じで、黙って年収や技能を高めて、より安全なところへ移動し、「バカ」と接触しないようにしていくこと、それだけが、知能の使い方だろうか。私はそうは思わない(新聞のえらそうなコラム風のしめくくりかた)。