20161202

いくつか頼まれてたものが終わった。急がず、嫌にならず、質も投げないで済む量っていうのが自分で分かっていると、他のことができなくなったりしないから助かる。どうやってこれが成り立ってるか見て、維持したいなって思う。

一方ここの雑記なんかは、本当はこまめに更新したいけど、後回しになっちゃう。今は自主制作、ドイツ語、運動、(必要に応じて)依頼制作、の4つが死守項目になってて、それぞれ3時間、2.5時間、0.5時間は最低やるようにして、のこりを自由に配分してる。この合計6時間は、夕方までに終わりそうで終わらない。喫茶店や本屋、海水浴場に行って、料理やタクティクスオウガもするから、だいたい18時ぐらいに「でも、まだ立て直せる!」と思って、24時までに全部終わって「ラッキー!」となって無事1時に寝れる、って感じだ。

運動は、実質30分もやってない。「限界+2回」とか「限界+8秒」とかの目安で腕立てとかプランクとかやってるけど、10分やると次の日どこかしら痛い。調子によるだろうけど、精神が先に「もう無理」と思い、それを無視してもしばらくは肉体は余裕がある。時間とか回数とか意味なくて、「限界+少し」の負荷を繰り返すだけで、今の僕ならそれで良さそう。

タクティクスオウガは、ゲームバランスがそうなんだけど、遠距離攻撃ユニットを重点的にレベル上げて一気に突破すると戦死者がほとんど出ずにクリアできる。ので、結局そうして最後までクリアした。人間の生まれや育ち、ヒエラルキーや支配、そういうものを分かりやすいドラマにしているけど、スーパーファミコンの画面でやっているのが面白いし、小説では拾わないようなメッセージも心に来たりする。


 20161205

ドイツ語は、11月は80時間ぐらいはできたんじゃないかな。時間じゃなくて成果が大事なんだけど、成果は時間で生まれるから…。こんなこと書いても面白くないかもしれないけど、僕はこういうの書いてるブログとか結構好きで、だから僕も書いてるんだ。趣味とも鍛錬とも義務とも違う。なんか、「探索」のようなことをやってる感じが好きだ。

ヨーロッパでは共通で、言語の修得度に基準がある。A1、A2、B1、B2、C1、C2の6段階だ。B2とかC1があれば現地の大学を受験できたりする。国間の移動が多いから、こういう共通基準があるのかもね。学習時間で言うと、僕の見たのだと大体それぞれ2ヶ月、2ヶ月、2ヶ月、2.5ヶ月、2.5ヶ月、2.5ヶ月かかるとされている。これは時間に直すと1ヶ月60時間とかだ。アジア人で独学でマヌケ(僕)だと倍以上かかるだろうから、1ヶ月100時間換算ぐらいで良いかもしれない。

何か基準が欲しいなと思って、とりあずB1を目指してやってる。2014年は100時間もやってなかったかもしれない。2015年は150時間はやったと思う。今年は200時間ぐらいやってるはず。案外やってない。「コツコツやろう」と思っても、1日平均1時間もやってなかったりする。4日連続やっても、そのあと3日やすんだら半分に薄まる。道理で語学学校に通う決心をする人が多いわけだ。

B1のために、自分が今までどれぐらい単語を覚えられたのか先月から把握しているけど、結構足りていない。それで、今は半分ぐらいまでは確認できた。全部で2000語ぐらいあればいいので、大学受験の英語程度だ。あれを大人になってやるのは自分は疲れるけど、でも。義務でやらされて身に付いてる物より、自分で選んで学んだ物の方が得意になるって、僕は好きだ。


 20161208

1年終わるなあ。今年も長かった。ほんと、もういつ死んでもいい。死にたくはないし、残された時間もできるだけ有意義につかわせてもらうけど。

去年末から神戸元町駅前におみせを借りて、作業する場所としても使ってる。丸一年やってみて、自分の中での意味もすこしずつ変わってくるけど、まずやっぱり、こどもの頃からこういうの憧れてたからうれしい。楽しく色々できるし、人も会いにきてくれるし最高だ。人が来てくれる場所ほど,お金はかかるけど。

おみせコストは大体おみせ関係で賄えてると思う。もし厳しくなったら考える。印税みたいな物が入ってくるものを年々作らなくなってるような気がするけど、なんか使用権とかそういうのは細々あって、心から助かるけど、こういうのが全部同時に消滅しても一切文句はない。

みんなでやってるプログラムの依頼みたいなやつも、春にまとまって来てくれたからその時やって一年分済ませた感じでラッキーだった。ラッキーには期待できないので、来年は地獄のような日々がそこそこ続いて、苦労したり嫌な気持ちになるかもしれない。ついついお腹いっぱいまでスパイシーな物を食べたくなっちゃったりしたりするかもしれない。そうなればチーズナンもおかわりして、ラッシーも飲むだろう。食べきれなかった分を店員が包んでくれて、持って帰って夜中にも食べるだろう。その温めなおしたやつがまた違ったおいしさで、適当に選んだ映画を観ながら適当に食べるのに最適なんだろうどうせ。今から重々気をつけておかないとな。

今年は、漫画「心のクウェート」が作れたし、ゲームも2つ作りかけてる。今年は100点満点で何点?とか聞かれることとかあるけど、なんていうか、運だよね。評価されたり数字が質を証明すると思うし、そういうものでは測れない良さもある。作っていて幸せである必要も必ずしもないと思うし、やらずにはいられない人が、ただやってればいいと思う。


 20161210

ちょっと前に、「適応したいものに適応して、したくないものにはしない」っていうことを書いた。今思えば単純な話で、「しょうがなくがんばる」「がまんして嫌な時間を過ごす」のをやめようって感じかも。

やりたいことをやったり、役に立ちたいことをがんばったり、仲良くしたい人たちと仲良くする。無礼が無いようにして、より貢献できるように、喜んでもらえるように、より素晴らしいデキを目指す。そのために「嫌いな物とは距離を取る」みたいな感じだったかな。

適応したい「もの」っていうときの「もの」って、人とか集団とか文化や社会や業界や事柄やなんかが入る。種類やスケールがバラバラだけど、嫌な物じゃなくて、自分の趣味に合うものに接したり属したり関わったりする。そういう自分をイメージして初めて「前向きに頑張る」みたいなのもイメージできる気がする。

ちょっとぐだぐだした書き方になってしまったけど。学校とか、日本とか、特定の業界とか、何か自分が所属している色々なスケールの世界で、「あんたはあれだから、はしっこの方で適当やってなさい」って雰囲気を強めに味わいながら、反骨精神みたいなもの育てることナシに自分らしくがんばろうって気になれる?って話だ。なれる人もいるだろう。僕は厳しめ。

つまりそれは人とか集団の許容する多様性みたいなものに関連していて、そういうのがものすごい狭いと、そのダサさに耐えられない。たぶん日本人でも多くの人がそう感じてるはずで、強めに感じている人も少なくないと思う。俗世を捨てて仏門に入った昔の人とかにも、そういう人が一定数いたかもしれない。外国に住むようになった人にも、そういう人がいる。でもずっと、納得いかない物に面して生きていく人も多い。

「こんな邪悪な物、下品な物、あって誰が得なの?」「こういうことが考えられてない」って物ばかりがあって、避けて生活できないぐらい多い。体質や気質や信条その他いろいろ、多彩な人がのびのび生きられる社会とは到底言えない環境だ。「世界的に見たらまだマシ」かな?僕は全然そう思えないから、そこでも人それぞれだと思う。

そしてそれを「しょうがなさ」とか「メリットの方が大きい」みたいな概念で飲み込んで生きていくだけの根性とかが無い。「エグい地獄で、自分は、できるだけマシな座席を確保できるようにがんばる」ということをやるのは「現実的」「自分の人生に集中している」と言えるかもしれない。僕はそれに集中できないし、「地獄のエグさを緩和しようとする」人や、「マシな座席を増やす」人にもなれない。とても中途半端でダメな気がする。僕だけじゃなくて、色んな程度で多くの人がそれで困っているだろう(かげながら応援してます)。

何か色々できたり選んだりするためにも僕はまず、家族や友達や、作ったものを味わってくれる人たちに適応したり、関わりを良いものにしていってる。


 20161212

先週と今週は神戸ルミナリエというのがあって、すごいたくさんの人がおみせの裏を通過していった。電車の両数が増えたりするぐらいだけど、おみせに来る人の数は、ちょっと多いかなってぐらいだった。寒くてみんな大変そうだった。

競馬は先週、はじめて万馬券が当たった。師匠のさくらいさんは「やっと。遅いぐらいですよ」と褒めてくれた。今週はしょうもない結果だった。ゴールした着順1番から3番が、人気上位3頭だったのだ。これが一番払戻金額が小さいレース結果になるパターンで、3頭の順番まで当てても数十倍にしかならない。「見送るべき勝負」みたいなのがあるのも面白い。

インターネットでは片付けたけど、おみせではまだ「心のクウェート」の原稿を飾っていたんだけど、買ってもらえることがごくまれにあって、ありがたいです。友達の友達とか、知り合いの知り合いとかが来てくれたりして、「好きそうな人がいたら教えたり連れた来たりする」っていう行動が僕は好きだから嬉しい。

ずっと人としゃべったりしてたのもあるけど、やる気がそんなに出なくて作業とかは進まなかった。油断しても大丈夫な人と会うと、ついついたくさんしゃべってしまう。

やる気が出でないのは怖い。年齢で色々な物が衰えたりするだろうけど、この「着火」や「燃焼持続」が弱くなってくるとしたら…っていうか、ここから弱っていくのが一番リアルだなって思った。いつも「やる気出ないとか知らんわ」って強引に自分を動かすんだけど、昨日はその「知らんわ」役のやる気が出てなくて、「知らんわ役がちゃんと進めないと始まらないんだけど!」って苦情を言う係が登場した。こうやって係や役が増えて、回路が迂遠になっていくと嫌だなあって思った。時々なら良いんだけど。


 20161215

忘年会とか無いので、そういうののつもりで、家族と家族みたいなシカク2人と、温泉旅行に行ってきた。白浜という所で、コンピューターも持っていかず、何の端末も気にせず過ごして楽しかった。

一番思い出に残ったのは、ローカルアイテムを見つけに入った地元スーパーで、「大きくないみかんが雑に箱に詰まってて、それを袋に好きに入れて200円」っていうのが売ってて、買ったことだった。

店内や店外には、大きくてたくさん入ったやつが400円とかで売ってたけど、持って帰れないし、どうせおいしいんだろうから一番まずいの適当にくれ!って感じで、いい加減に買おうとした。雑なチョイスで袋7分目ぐらいまで入れた。7分目まで入れとけば、適度にやる気ないと思われないで済むだろうと思った。こういう感覚は小中学校のころ、教師の節穴をごまかしまくることで身に付けた、悲しいスキルだ。

だがここはガキの学び舎ではなく、和歌山ローカルスーパー・Vショップなのよね。レジの人が袋をつかみ、「もっと入れなくて良いんですか?」とすかさず聞いてくる。僕にじゃなくて、横にいる妻に聞いてくる。僕が「いいんです、これで」というと、無視してまた妻に「もっと入れましょうか」と言う。ああそうか、死んだんだ僕。

「無理強いはできないんですが」とか色々言うんだけど、僕には全然何も言わない。「せっかく名物だから、もっと食べてほしくて」とかいうニュアンスが含まれたセリフも来ない。だがこれがこの人のスタイルなのかもしれない。「ああなんか、こっちの想像の及ばない理屈とか処理経路とか、すごいある!」とうれしかった。「男の人には台所立たせられねえんで、そっちの炉の中さ、親指立てて沈んでてくだせえ」みたいなのも、漫画むかしばなしでしか見たこと無かったけど、あるところにはあるんだなと思った。


 20161219

いつか来るとは思ってたけど、風邪ひいた。ちょっと無理じゃないかなって予想してたスケジュールになってしまって、そうなるとセーブ・連絡・手ピカジェルのほうれん草もおろそかになる。

でも実は、これはこれで結構楽しみにしてて、体力作りの成果の見せ場といってもいい。体力作りの効果は、2つある。

まず、体力がついたことによって、風邪がひどくならない効果。2つ目は、「体力がついたからひどくならないはず」と思うことによる効果。病は気からと言うが、100%ではない。病は気から。その「病な感じの気」は、微弱な病から。その微弱な病は、すごい微弱な病んだ気から。こだまのように増幅しながら起こる。

風邪だけじゃない。人間が今ここで「精神と肉体は相互に関わって影響しあっている」と肝に銘じたとき、その5割増で精神と肉体は、あらゆる場面で思ってるよりも相互に作用し合っている。ここのところの認識が帰宅部は徹底的に甘い。

とにかく体力を少しつけた結果どうなったかと言うと、まず病気にはなりにくい。そして治りやすい。だが、慢心が生まれる。「丈夫だから大丈夫」、大の無いところに大をつける、魔界村のよくないところだ。ちょっと不安な体調になっても押し切ろうとしてしまったり、寝ればいけるとか思ってしまう。いいわけない。もう寝よう。


 20161221

ドイツ語の国際能力検定みたいなやつのために、まずどれだけ語彙力があるかチェックしてみた。とりたいレベルの単語集みたいなのを買って、一通り見るだけでも結構日数かかったけど、全体が見渡せるようになってよかった。こういうことでやる暗中模索は好きじゃない。

肝心の「知ってる度」としては7割って感じで、これから何百語か新たに覚えることになった。動物なので忘れていく数もあり、結構時間を使って詰め込んでる。

今この時も順調にスカスカ抜けていってるだろうけど、とりあえず今月前半使ってそのチェックと詰め込みをやったら、ニュースとかも結構聞き取れるようになった。まだまだ意味を手繰るだけの処理速度は物足りないけど、何言ってるか分かるだけでずいぶん明るい気持ちでいられる。

それにしてもニュースがひどい。暗くなるようなことばっかりだ。だけど不安や恐怖を過度に受け取って、煽られるだけ感情を煽られた結果が、先制攻撃だとか軍事介入だとかを認める世の中だ。何にどれぐらい嘆くのか、そんな高度なコントロールを求められても…とも思う。

単語暗記は「zuknow」というソフトを使ってて、音声つき単語帳データを自作・共有できて、データはクラウドなのでPCで編集して端末で勉強、とかできる。ランダムとかチェックとか自動出題とか基本てきな機能も大体そろってる。暗記なんて最速で合理的に済ませるに越したことはないので、できるだけ良いシステムでやったほうがいい。オンライン状態でしか使えないけど。この日記の画像を取り込むと僕とフレンド登録できるのでご自由に!


 20161223

「ああ本当はこうしたいと思ってるんだけど、それやると人間世界で不利だからやらないでおいた方が良いな…」って思うこと、色々あるはずだ。自分は、そういうことを放置しておくことが苦手だ。そういうモヤモヤで自分ががんじがらめになって動けないことはもちろん、ちょっとでも挙動が鈍るのも大嫌いだ。

「たとえば」、たとえばです。東京だとか「特定の場所」の良くないところをさんざん見て、「こんなとこ住んでるのきつい、ああいうところはもっと、こういう点でこうですし、特に理由ないなら移動すると吉ですよ」と無性に言いたい時期があった。

もちろん、誰にでも言いたいわけじゃない。誰かがどこかに住んでいるには理由がいろいろあるし、動けない事情がある人もいるし、とにかく色々だ。そうじゃなくて、僕みたいに実家も地元もなくて、仕事も自由業で、東京に不満がたくさん蓄積してるような人に対して、だ。背中を押されるのを待っているような人だ。

だけど「他人に何かおすすめする」っていうのは、大体が大きなお世話だ。たとえ情報などの判断材料を自分の方がたくさん持っていたとしても、余計なお世話だ。だけど僕は「他人とのおすすめ情報の交換」自体も好きだったりするので、言いたくなる。だけど我慢する。

なぜ「我慢した方が良い」「余計なお世話として慎むべき」だと自分が感じているか、モヤモヤした。他人のライフスタイルを変えようとするのが傲慢だからかとか、そうじゃない。

「人には時期があるから」って考えてるからだ。背中を押すとその分、時期が早まる。早まっていい人もいるけど、準備がまだ整ってないような人に過剰な勇気を与えてしまったりしたら、時期が整わなくて失敗してしまったり、自分の意志でやった感じが減ったりもする。僕にとって、自発性って大事なことだ。

いくら先進国底辺の教育といえども、国算理社やったクチなら、東京が没落してる客観性のあるデータなんて犬とか棒よりたくさん落ちてるのが分かる。その上で色んな所信をもってみんな生きている。過労、差別、汚職、沖縄、税金のすごい使われ方。中国のこと、韓国のこと、もっと離れた国のこと、他にも色々、ぜんぶ知ってるはずだ。知っててこれだ。

色んなことの状況がいろんな感じで今こうなってて、「自分がどう考えてどう行動するか」と言葉にして考えたときに、とるべき思考の舵取りがそっちにそうなってる。一人一人がおのおの自発で動いたら?って強く思ってる。こうやって、文章や漫画で考えてることを不特定多数に流してるだけでも、僕はもう十分すぎるほど余計なお世話はしちゃってるんだし。


 20161225

年末だなと思って、今年やり残したことを色々やってる。色々と言っても大したことはできない。だけど5日間って、1年の73分の1ぐらいはある。

ドラマとか連続物を観る気がなくなったので、映画を観てる。「ダージリン急行」「ムーンライズキングダム」はどちらもウェスアンダーソンの映画で、ずっと観る機会を逃していたけど、やった観れた。このようなものがちゃんと評価されて、このような人たちの才能が認められているのを知って嬉しい。最近の映画なので、現代人が観るとついつい「最近の映画の画質だな」と思ってしまう。何十年かしたら、また観てみたい。

あとは、僕が使っているamazonプライムではクリスマスの映画が見やすい所にズラーっと並べてあったので、どんどん観た。「この作品を見た人は、これも見てます」が、やっぱり便利だ。サジェストに視野を統制される未来っていうか、そんなのはとっくに来ているけど、視野の統制でいえばamazonやグーグルなんて甘い方だな。

チェルノブイリ原発事故被害者の芸術家が、原発事故の原因に関する自説を追求していく「ロシアのキツツキ」なんてのもあって、観た。原発近くにあの有名な「キツツキ」、へんなノイズを出し続ける謎の巨大金属フェンスの無意味さをうやむやにするために、ある政治家が故意に原発事故を起こしたという陰謀論にも聞こえる説を調べていく映像だ。ロシアでは暗殺とか消すとかそういうのがまだまだ多い世界観だという雰囲気がたっぷりで興味深かった。

だけどおすすめは「ムーンライズキングダム」です。ていうか、映画ってだいたい全部おすすめで、あまりにも娯楽のためだけに作られたもの以外は「観て損」ってあんまりない気がするな。